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名古屋高等裁判所 昭和54年(う)225号 判決

被告人 河本利夫 ほか五人

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用中、証人田中豊に支給した分は被告人河本利夫の、証人西尾彦朗及び同宇野巌に各支給した分はその二分の一ずつを被告人三尾竹司、被告人田口進の、証人西尾岩夫に支給した分は被告人岩井勇の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人河本利夫については弁護人山本卓也作成の、被告人上杉久次については弁護人大道寺徹也、同野島達雄、同村元博、同冨田俊治共同作成の、被告人岩井勇については弁護人鍵谷恒夫、同尾関闘士雄共同作成の、被告人渡邉良平については弁護人福岡宗也作成の、被告人三尾竹司及び被告人田口進については弁護人尾関闘士雄、同鍵谷恒夫共同作成(二通)の各控訴趣意書に、これらに対する答弁は検察官鈴木芳一作成の答弁に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

第一原判決理由中の「判示第一ないし第一〇の事件の背景」の関係

被告人河本利夫(以下河本というのは被告人河本を指す。)の弁護人山本卓也の控訴趣意第一(事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、株式会社恵那峡ランドの代表取締役である原審相被告人南耕一(以下南という。)が岐阜県中津川市(以下単に市ということがある。)苗木財産区所有の同県恵那郡蛭川村若山五七三五番地の三外二筆の山林(以下本件区有林又は単に区有林という。)を買収して開発する計画を有していたとしても、昭和四七年四月ころ(以下単に月又は月日のみを記載したものは昭和四七年の月日である。)南らが河本へ協力を依頼した内容は、本件区有林の地上権者である木曽恵那観光開発株式会社代表取締役風間清(以下風間という。)からの地上権などの買取り交渉であつて、所有権取得の話は全くなされておらず、河本は、九月中には、南のために本件区有林の所有権を取得する意思がなかつたのに、原判決は、南が区有林買収の方向に向かつた時期や、これに対し河本がとつた行動について認定もせず、河本が南らと区有林買収について話し合い、その実現のための具体的な行動を始め、九月中には既に南のために本件区有林の所有権を取得する意思を有していたと認定したのは、事実を誤認したものであるというのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判決が「判示第一ないし第一〇の事件の背景」の項において認定した事実は優にこれを認めることができる。

すなわち、原判決は、右背景の事実中に、南は本件区有林を買収して開発する計画を有していて、二月ないし四月ころ河本らと右計画について話し合い、河本らの協力が約束されて、計画実現のための具体的な行動が始まり、河本らは四月ころから地上権等を買収する交渉にあたつた旨の判示をしているのであるから、その判文自体からみて、南は二月ないし四月には既に区有林買収の意思を有しており、河本らのした区有林に対する地上等の買収交渉は区有林の所有権の買収に向けての行動であると認めた趣旨と解することができる。そして、南の昭和四八年一〇月九日付(以下証拠書類の作成年月日を四八・一〇・九の例によつて略記する。)の検察官に対する供述調書(以下検調という。)によれば、南は昭和四三年四月ころ中津川市長西尾彦朗が恵那峡ランドに視察に訪れた際に、同市長から本件区有林の開発をしてもらいたいといわれたことから、これを買収する考えを持つようになり、風間と折衝したが折り合わず中断していたころ、昭和四七年に入り風間との交渉が再燃し、二月ころ河本、被告人渡邉良平(以下渡邉というのは被告人渡邉を指す。)と話し合い、渡邉、河本が本件区有林を買収できるように市側、苗木財産区議会側に工作をし、南は資金を提供することとなり、まず買収の順序として風間から地上権等の権利を買収することなどをすることになり、六月ころ風間から地上権等を譲渡してもよいとの返事があり、覚え書きを交換し、河本が、その覚え書きを持参して市長らに地上権の買収の話も進んでいるので所有権払い下げの話を進めてほしいと頼み、八月三一日に風間との間で表金五億円と裏金一億円を出すことで地上権などの売買契約を正式に決定したので、九月四日ころ南、河本らと資金提供者の日建住宅役員らが中津川市役所に行き、市長らに会い、市長に所有権を売るつもりかどうかと念を押し、市長から所有権を売る約束を取つた旨供述しており、また、南は当審第四回公判証人として中津川市長が恵那峡ランドへ視察に来た際に同市長から本件区有林の開発を依頼されたものであり、その所有権を取得しようと思い河本に地上権の買取りの交渉をしてもらい、地上権の譲渡を受けることに成功したら所有権を取得すると話をしたが、その所有権を取得すると河本に話した時期については記憶が薄らいでいるが、九月四日ころに河本や日建住宅の社長らとともに市長に会い、南から市長に地上権の売買契約ができたので所有権を譲つてもらいたいとお願いし、所有権は譲つてもらえると思つたが、値段が問題として残つたのみであり、四月から八月ころにかけて市長とは所有権の譲り受けの話をしている旨の供述をしており、右当審供述は、前記検調における供述とおおむね軌を一にするものであるから、記憶鮮明の間に作成された右検調の記載は十分措信することができる。この点について河本は、四八・一〇・一八付検調では二、三月ころに南から本件区有林などを買収して一大観光センターを作りたいといわれ、区有林の買収関係の交渉を依頼され、四月ころから区有林関係者などとの交渉にとびまわり、買収するには市長に売る気になつてもらわなくてはならないので市長とも交渉し、南とともに地上権と所有権の買収に全力を尽した、八月三一日に地上権売買契約が成立し、所有権の買収に全力を尽すようになつた旨供述し、また四八・一〇・一四付司法警察員に対する供述調書(以下員調という。)中でも同旨の供述をしており、原審証人兼松和祐(証人尋問調書)は、昭和四七、八年当時中津川市総務部長であつたが、八月末だつたと思うが南が市役所に来て市長に本件区有林の所有権を譲渡してもらいたいと話した記憶があり、区有林を買うため河本が同市に交渉に来たこともある旨供述しており、司法警察員(以下員という。)作成の四八・一一・九付謄本作成報告書添付の南耕一名義の中津川市長及び苗木財産区議会議長宛の申請書によれば、南は本件区有林払下げに関し用地の確保について格別な配慮を願う旨の申請をし、八月七日に同市苗木財産区でこれを受理していることが認められ、これらをはじめ関係証拠によると、南は当初から本件区有林の所有権の取得を目的としており、河本は四月ころから同区有林の所有権買収のために、その前提処理として地上権買収などの交渉をしていたことが優に認められ、南が同区有林の所有権取得の意思を告げないで河本に協力させていたものとは認められない。右認定に反する河本の原審及び当審における各供述は、原審第六六回公判における河本の供述が、原審第一四回公判において証人として供述したときの証言内容と矛盾していることをはじめとし、措信できる証拠と対比して不自然であり措信できない。九月六日付の市に対する区有林払下げ申請書が、仮に南が直接作成したものでないとしても、前記認定のとおり、南は八月七日に区有林払下げに関する申請書を市などに提出しており、九月四日ころ南は河本らとともにわざわざ市長に面会し区有林の所有権の払下げを願い出ていることからみても、同人らの意思によつて提出されたものと推認するのが相当である。

その他、原判示の各事実の背景について右控訴趣意が原判決を論難するところは、証拠に徴しいずれも採用できない。原判決には右所論の主張するような事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

第二原判示第一、第二の事実関係

一  被告人上杉久次(以下上杉というのは被告人上杉を指す。)の弁護人大道寺徹也、同野島達雄、同村元博、同冨田俊治の控訴趣意及び被告人河本の弁護人の控訴趣意第二のうち原判示第二に関する部分(いずれも事実誤認の論旨)について

各所論は、要するに、上杉の原判示第一の収賄及び河本らの同第二の贈賄の事実について、原判示の現金三万円は六月(河本の弁護人は上、中旬と主張し、上杉の弁護人らは下旬と主張する。)に授受されたものであり、その趣旨は中津川市苗木財産区議会(以下区議会ということがある。)における本件区有林の払下げなどに関する審議議決とは全く関係がなかつたのに、原判決が河本は九月七日ころ、区議会議長であつた上杉に対し、区議会において本件区有林の払下げ及び地上権譲渡の承認を求める議案の審議議決に際し好意ある取計らいをしてもらいたい趣旨で現金三万円を供与し、上杉はその情を知りながらその供与を受けたと認定したのは、事実を誤認したものであるというのである。

各所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によると、原判示第一、第二の事実は、各所論指摘の点をも含めて優にこれを認定することができる。右各所論について原判決が特に「主な争点についての認定理由」と題して、その一において説示するところは、すべてこれを正当として肯認することができるので、これを付加して次のとおり説示する。

金員授受の時期について、河本の弁護人は、河本が捜査官に対して九月初めころと供述したのは、捜査官から、上杉が九月上旬であると供述しており、同じころに金員を授受した被告人岩井勇も九月であると供述した旨告げられ、精神的圧迫に耐え切れず意に反して供述したものであつて、真実の金員授受の時期は六月であり、このことは、河本が捜査官に対し当初六月か七月ころと供述していたこと、上杉が九月と述べたのは同人が逮捕されて周章狼狽し記憶があいまいのまま述べたものであつたことからみても明らかであるといい、上杉の弁護人らは、上杉は捜査官の取調べを受けた際には本件金員を受け取つた日時の記憶がなく、その時期を思い出す前提事実を誤り、地上権譲渡の申出書の日付を基準としたために九月上旬と述べていたが、後日記憶を喚起され、金員授受は河本が二回目に上杉方を訪れたときであり、それは七月の中元としてウイスキーをもらつた以前であつて六月下旬ころであることが判明したものであるという。なるほど河本が四八・一〇・一四付員調では、上杉に三万円を渡したのは六月か七月ころであると供述していることは所論のとおりであるが、同員調においても河本は、金員供与の趣旨は区議会議長である上杉から区議会において区有林の地上権譲渡契約の同意やその所有権売却の際の賛成議決の投票をしてほしいなどの趣旨であつた旨供述していたのであり、その後河本は四八・一〇・二三付員調で、八月三一日ころ南と風間との間で地上権などの買収契約が成立したので所有権譲渡対策に本腰を入れるための工作であつたことから考えて供与した日は九月初めころであつた旨訂正しており、その供与時期は、供与の趣旨から記憶喚起したものであること、その後は捜査官に対して四八・一〇・二六付、四八・一〇・三一付各検調を含め一貫して九月である旨供述していることからみれば、右三万円を供与したのは九月であるという供述のほうが信用できるというべきである。時期について右に反する河本の原審及び当審における供述は、右捜査官に対する供述と対比して措信できない。一方上杉は、原審第一五回公判において河本、渡邉に関する証人として、金をもらつたのは河本が上杉方に来て二回目に会つたときであつたと思うと述べていることは所論のとおりであるが、中元として七月中ころにウイスキーをもらつたと思うが、自分は河本と会つていないと思う金をもらつたのは八月三一日の申出書をみた後で九月上旬だと検察官に言つたが、そのときも現在もそれよりほかに考えがない旨述べているところであり、上杉は捜査段階から原審第一回、第八回公判を通じて授受の年月日を含めて本件受供与の事実を全面的に自白していたものであることからみれば、上杉の捜査官に対する供述は周章狼狽したためにした誤つた供述であつたとは思われない。かえつて捜査段階の供述は記憶が新しくその供述内容は信用できるものと思われる。ところが上杉は、その後原審第六六回公判に至つて前言をひるがえし、その後は、捜査官の取調べを受けた段階から供与を受けたのは六月ではないかと思つていたが、捜査官から九月だろうと言われて、九月ということになつたが、一回印を押した以上訂正しては悪いと思つて、その後は訂正しなかつたと供述しているが、上杉はそれまで訂正の機会が何回も与えられていたのに、あえてこれをしなかつたもので、また訂正しなかつた理由も納得し難いものであり、右上杉の訂正した供述は措信し難い。その他の信用できる関係証拠を併せて考察すると、本件の三万円の授受の時期は原判示のとおりであると認められる。

金員授受の趣旨について、河本の弁護人は本件区有林に関する情報を聞いた謝礼であるといい、上杉の弁護人らは、上杉や財産区は六月下旬ころには本件区有林を財産処分の対象と考えておらず、地上権譲渡の事実も知らなかつたのであつて、区議会の審議議決とは全く関係がなかつたというが、本件金員の授受は前に説示したように九月であつたと認定されるので、六月であつたことを前提とする各所論はその前提を欠いており、採用できないものであるが、右金員授受の趣旨についてみると、河本は前記四八・一〇・一四付員調によれば、財産区議員二人に現金を送つている事実があるので、この際だから何もかも正直に話しますと前置きのもとに河本から進んで取調べ官に供述したものであることがうかがわれ、河本の同員調をはじめ、四八・一〇・二三付、四八・一〇・三〇付、四八・一〇・三一付各員調、四八・一〇・二六付、四八・一〇・三一付各検調を通じて、風間から南への本件区有林の地上権等の譲渡の承認、本件区有林の払下げによる所有権の取得に関し区議会における議案の審議議決に際し好意ある取計らいをしてもらいたい趣旨で供与した旨一貫して供述しており、上杉は捜査段階の供述はもとより、前述のように原審第一回、第八回、第一五回公判においても、原判示の趣旨のもとに供与を受けたことを自白又は証言していたものであることなどに徴すると、これらの河本、上杉の右金員授受の趣旨に関する各自白は措信することができる。右金員を区有林に関する情報を得るための謝礼として供与したという河本の原審及び当審における供述は、なぜ単に情報を得るだけの礼金を出し、区議会における審議議決に関してはそれを出さないのかということについて納得し難いものがあり、また右金員の趣旨もわからずに、又は深い考えもなくこれを受領したという上杉の原審及び当審における供述も経験則に照らして理解し難いものがあるとともに、他の措信できる関係証拠と併せ考えると、河本、上杉の右認定に反する供述は、いずれも措信できない。次に、被告人上杉の弁護人らは、上杉の職務権限に関し、昭和四一年一二月一七日付で中津川市長と木曽恵那観光開発株式会社との間で、本件区有林について締結された原判示の地上権設定契約には、「地上権を他に転売することはできない」旨の特約が存するところ、地上権は物権であり、このような特約は法律上無効であるから、右地上権譲渡の承認は財産区の権限に属さず、したがつてまた、財産区議会議長の職務権限にも属さない旨主張する。

しかし、所論の特約は苗木財産区と風間との間においては債権的効力を有するものであるから、区議会としては右特約に反して行われた地上権譲渡に関しその事後処理などについて審議する権限を有するというべきである。のみならず、関係各証拠によれば、右特約の前提をなす地上権及び賃借権の設定については、区議会の議決も県知事の認可も経ていないことから、その有効性に疑義があり、昭和四二年ころ中津川市議会においてこの点に関する質疑が行われ、昭和四三年三月住民らから右地上権設定契約及び賃貸借契約の無効確認を求める行政訴訟が提起され、これに対する裁判所の判断も示されていない状況下にあつたからであるから、苗木財産区の所有財産の処分について議決権を持つ区議会は、その立場において、右譲渡の承認を求める議案について審議し議決する権限を失うものでないと解するのが相当である。更に、区議会が本件区有林の払下げ(所有権譲渡)の承認を求める議案について審議し議決する権限を有することは明らかである。そうとすると、原判決が、区議会議長である上杉に右各議案に関し原判示の職務権限があつたと認めたのは正当であり、この点に所論のような誤認は認められない。

その他、原判示第一、第二の事実について各控訴趣意が原判決を論難するところは、証拠に徴しいずれも採用できない。原判決には各所論の主張するような事実誤認は存しない。各論旨は理由がない。

二  被告人渡邉良平の弁護人福岡宗也の控訴趣意三(事実誤認の論旨)について

所論は、要するに、原判示の第二の贈賄の事実について、渡邉は全くこれに関与していないのに、原判決が渡邉は河本と共謀して、上杉に対し、その職務に関して現金三万円を供与したと認定したのは、事実を誤認したものであるというのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によると、原判示第二の事実中、所論指摘の共謀の点は優にこれを認定することができる。右所論について原判決が特に「主な争点についての認定理由」と題して、その二において説示するところは、すべてこれを正当として肯認することができるので、これに付加して次のとおり説示する。

所論は、本件は最初上杉が河本から金をもらつたときに渡邉も一緒に来たと誤つて供述したことから端を発し、捜査官が河本に押しつけて渡邉と相談して上杉に金を持つて行つたと虚偽の供述をさせ、渡邉も当初は否認していたが、責められて精神的にまいり、執行猶予になるとの刑事の言を信じて犯行を認めるような供述をするに至つたもので、これら関係者の員調、検調は強要と誘導によつて作成されたもので信用できず、同人らの原審公判廷における供述こそ真実であるというが、渡邉の四八・一一・二付検調によれば、渡邉は、四月に南の意を受けた河本から、南が区有林を買収して開発するのに力を貸してもらいたいと頼まれ、その開発が実現すれば、これに付随する電気設備工事を渡邉の経営する会社で請け負わせてもらえる利益があることなどを考え、これに協力して尽力したが、九月に入り区有林の地上権譲渡の承認や所有権取得について区議会の議決を得なければならなくなり、河本から区議会議長の上杉に好意ある取計らいをしてもらうために金を差し上げることを提案され、相談の結果二、三万円の現金を持つて行くことになり、渡邉は市会議員である立場上河本がこれを持参することになつて、河本が持参した旨供述しており、河本の四八・一〇・三一付検調における供述内容もほぼ右渡邉の供述に符合するものである。これに対し、渡邉は原審第三八回、第四四回、第六九回公判において、河本から上杉に三万円を持つて行くことは全く関知しておらず、渡邉の員調は取調べ警察官から河本や上杉が認めているのに渡邉が逃げるのはひきようだと責められて、大勢にしたがつて本件の三万円を贈る相談をしたことを認めたもので、検察官の取調べの際にその供述を訂正しようとしたが、検察官から一喝されたので小部分の訂正をしたのみで大筋の訂正はできなかつたと供述し、河本は原審第二九回、第三五回公判で証人として、上杉に三万円を贈つたことは渡邉と全く相談しておらず、河本の独断であつたが取調べ警察官に無理に押しつけられて渡邉と相談して持つて行つた旨の供述調書を作成され、その後検察官の取調べを受けた際には、無理はなかつたが、警察で述べたことに、ただ同意しうなずいていたものである旨供述しており、これら渡邉、河本の公判廷における各供述は、同人らの各検調と相反するものであり、捜査官に対してした自白は捜査官に押しつけられるなどして作成されたもので任意の供述ではないというが、これらの捜査官に対する供述調書に録取された犯行状況は詳細であり、渡邉、河本の供述がなければ記載できないと考えられる状況が多数含まれているのに比べ、右の公判廷における両者の供述は苦しい弁解が多く、ことに渡邉は四八・一〇・二八付員調では、これまで隠してきたが、一人だけ責任のがれを言つても皆さんに迷惑をかけるばかりであるのでこの際正直にお話しいたしますと前置きして、本件事実を自白しているのであり、これらを考え併せ両者を比較検討すると、前記各検調は検察官の強制や誘導によつて作成されたものとは思われず、それらの供述記載内容も真実に符合するものと認められ、措信することができる。これに反し各所論に沿う渡邉、河本の原審及び当審における各供述は措信できない。

所論は、仮に渡邉が河本から上杉に金銭を届けようと思つているがどうかと相談を受け、金を届けたらよいだろうと言つたとしても、それは意見を述べたにすぎないものであり、渡邉が河本の行為を自己の行為として意欲する関係ではなかつたので、渡邉は河本の行為について共同正犯としての責任を問われるものではないというが、前記の渡邉及び河本の各検調によれば、渡邉は、南が区有林を開発することは自己の利益につながるものと考えて南の区有林買収に協力していたのであり、その意図を実現するために河本と相談して、区議会議長であつた上杉に二、三万円を持つて行くこととなり、渡邉は市議会議員である立場から直接金を持つて行くことは差しさわりがあるので、渡邉の意思を受けた河本が直接三万円を上杉に渡したことが認められるから、本件三万円の供与については、渡邉は河本と共同意思のもとに一体となり、自己の行為としての意欲をもつて、その実行を河本に託したものと認められるので、河本が上杉に手渡した賄賂について渡邉にも共同正犯としての責任を認めた原判決の事実認定は正当である。

その他原判示第二の事実について右控訴趣意が原判決を論難するところは、証拠に徴しいずれも採用できない。原判決には所論の主張するような事実誤認は存しない。論旨は理由がない。

第三原判示第三、第四の事実関係

被告人岩井勇(以下岩井というのは被告人岩井を指す。)の弁護人鍵谷恒夫、同尾関闘士雄の控訴趣意第一及び被告人河本の弁護人の控訴趣意第二のうち原判示第四に関する部分(いずれも事実誤認の論旨)について

各所論は、要するに、岩井の原判示第三の収賄、河本の同第四の贈賄の事実について、原判示の現金二万円は六月中旬ころに授受されたものであり、その趣旨は区議会における審議議決とはなんら関係がなかつた(岩井は金員受領の認識もなかつた)のに、原判決が河本は九月中旬ころ、区議会議員であつた岩井に対し、本件区有林の払下げなどについて、区議会で議案の審議議決に際し好意ある取計らいをしてもらいたい趣旨で現金二万円を供与し、岩井はその情を知りながらその供与を受けたと認定したのは、事実を誤認したものであるというのである。

各所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によると、原判示第三、第四の事実は、各所論指摘の点を含めて優にこれを認定することができる。右の各所論について原判決が特に「主な争点についての認定理由」と題して、その三及び四において説示するところは、これを正当として肯認することができるので、これに付加して次のとおり説示する。

各弁護人は、河本、岩井の捜査官に対する各供述調書は任意性及び信用性に欠け措信できないものであり、これらに依拠した原判決の事実認定は誤つているというが、岩井は四八・一〇・二一付検調においては、九月下旬ころ(四八・一〇・二九付検調で九月中旬と訂正)原登の迎えで中津川市のバー「萬」に行き、河本から本件区有林の地上権や所有権が南側に入るように働きかけてくれと依頼され、数字を挙げて説明されたのでそれを筆記したが、帰る際に背広上衣の右側ポケツトに金らしいものを差し込まれ、翌朝ポケツトをみると二万円入つていたので、この金は財産区議会議員である私に風間から南への地上権の譲渡を認め、併せて所有権を南の方で買い取れるように議決するなどしてほしいという意味でくれた金とわかつたが何となしに使つてしまつた旨供述しており、その他岩井は原審が取り調べた四八・一〇・一九付、四八・一〇・二二付、四八・一〇・二三付、四八・一〇・二四付、四八・一〇・二五付、四八・一〇・二九付各員調、四八・一〇・二四付、四八・一〇・二九付各検調においても一貫して原判示第三事実に沿う供述を繰り返しているのであるが、これらの員調、検調について、岩井は原審第四三回公判においては、各員調中の自白は金を受け取つていないと否認し続けたのに取り上げてもらえず、脅かされて一方的に作成された調書に観念して署名指印したもので、検調も何を言つても聞いてもらえないと思つて否定しなかつたという。しかし、岩井は昭和四八年一〇月一八日に逮捕され、その翌日の四八・一〇・一九付員調から既に事実を自白しており、その自白にあたつては賄賂をもらつて住民にあわせる顔がないので自殺しようとまで考えたが子供の顔を見て自殺する気がなくなつた、真実を全部話して人生の再出発をしたいとの心境を述べて自白しているのであり、右心境を述べたことについては岩井は同公判においても、そのように口走つたかも知れない、若干の泣きごとをいろいろ述べたことがそういうことになつたと記憶している旨供述し、必ずしも否定していないところであり、また同公判廷での供述によれば、岩井は検察官の弁解録取書作成の際にも、また裁判官の勾留質問の際にも本件事実を全面的に認めて、当時これを争つたことがないことが認められる。また仮に警察官に脅かされ言い分を聞いてもらえなかつたとしても、その間に検察官に三回取り調べられているのであるから、その際に否認、弁解する機会があつたのにそれをしていないばかりか、岩井の取調べをした司法警察員である証人志津慶幸の原審における供述によれば、岩井の取調べに際し強制や脅迫をしたことはなく、任意の供述を録取したことが認められ、これらを総合すると、岩井の前記各員調、各検調には任意性も信用性もあると認められる。これに反する岩井の原審及び当審における各供述は、その供述自体にも矛盾撞着があることと相まつて措信できない。

この点について河本は、四八・一〇・三一付検調で九月一五日ころバー「萬」で岩井と会い、区有林の所有権を南に売るように議会の議決をするように皆にすすめたりして協力してくれとの趣旨を話し、岩井は話の内容をメモしており、河本は帰る途中で岩井に対し「タクシー代や」と言い背広の右ポケツトに二万円を差し込み、同人は黙つて受け取つたが、この金はタクシー代というのは名目で区議会の議決などに便宜を計つてもらいたいつもりでその礼として渡したものである旨供述しており、その他にも四八・一〇・二三付、四八・一一・一付各員調、四八・一〇・二六付検調においても原判示第四の事実に沿う供述をしているが、河本は原審第四五回、第四七回公判においては、岩井とバー「萬」で会つたのは六月中旬ころであり、本件区有林について係争中の行政訴訟の内容を聞くために会つたもので、二万円を渡したのは共産党、社会党の田口、三尾から行政訴訟の情報を聞き出してもらいたいためであつたという。しかし、本件区有林に対する行政訴訟の情報を得ることは必要であつたとしても、それだけのために報酬を渡すということは理解し難く、区議会における審議議決に関する趣旨を含むほうが自然であり、金員授受の時期については、なるほど河本は四八・一〇・一四付員調では六月か七月であつたと述べたが、その後、これを九月と訂正してからは一貫していることなどに照らすと、河本の各員調、各検調は任意性に欠けるところがあるとは思われないとともに、それらの供述内容も措信することができる。右認定に反する河本の公判廷における各供述は措信できない。

以上のとおりで、右の河本、岩井の検調を採用した原判決の事実認定は正当であると認められる。

河本の弁護人は、岩井を迎えに行つた証人原登が、その日は田の稲の穂が出ていなかつたと具体的に述べており、また近鉄タクシーの運転日報、岐阜地方気象台気象表などを参考にすると、河本と岩井の接触は六月中旬であつたことが明らかであるというが、なるほど原審証人原登は、原審第三〇回、第四九回公判では、岩井を迎えに行つたのは六月であつたと思うと所論に沿う供述をしている部分があるが、一方では、前に捜査官から取調べを受けた際には九月であつたと供述したことがあることを認めており、右第三〇回公判より以前に検察官から電話で問い合せを受けたときは、六月か九月か思い出せないと答えたかもしれない旨答えたと供述しているところからみれば、同証人が同公判廷で述べる六月という供述は、正確な記憶に基づくものとして措信することはできず、むしろ時間的に本件に近い時期に警察官に述べた九月であるというほうが正しいと認められる。また、所論のタクシーの運転報告書及びタコグラフ(証拠略)によれば、六月一六日の晩に中津川駅前から並松までタクシーに乗車した客があつたことは推認できるが、その乗客が岩井であり、かつ、それが本件金員を授受した日の帰途であつたことを確認できる資料は存在せず、その日が受供与日であるという岩井の原審における供述は、その捜査官に対する供述調書の記載と対比して措信できないばかりか、右は一日分の資料であつて、これをもつて九月中旬に岩井が乗車したことを否定する資料とはなしえない。所論の岐阜地方気象台長の回答書によれば九月一六日の夕刻には多量の降雨があつたことが認められるので、その状況からみて、同日は本件金員の受供与日でなかつたことは推認できるが、それはその日だけのことであつて、「九月中旬ころ」本件金員が供与されたとする原判決の認定を否定する資料とはなりえない。

岩井の弁護人らは、岩井は河本から二万円を受け取つた認識がなかつたというが、岩井の前記四八・一〇・二一付検調によれば、岩井は前叙のとおりバー「萬」から帰る際に、河本から背広上衣の右ポケツトに金らしきものを差し込まれたことを認識しており、翌朝それが二万円であつたことを確認し、併せてその趣旨を理解した旨供述しており、勾留質問の際に裁判官の面前でも事実を認めていたものであることに徴すると、右供述を措信するに十分であり、これに反する原審及び当審における岩井の所論に沿う供述は措信できない。

岩井の弁護人らは、仮に、本件金員の授受が九月中ころであつたとしても、当時本件区有林払下げの申請、提案は日程にのぼつておらず、南、河本が区有林の払下げ申請をしたのは一一月二八日であり、右払下げ議案が提案、審議、議決されたのは昭和四八年三月三〇日であつたことからみても、本件金員は区有林払下げについて区議会における好意ある取計らいの認識はありうべくもなかつたものであるというが、岩井の四八・一〇・二一付検調によれば、八月ころに風間から区有林の地上権を南に譲渡したいという譲渡願が出され、一方から区有林の所有権を譲渡してほしいという買受願が出され、区議会で協議会を開いた旨、また、岩井の四八・一〇・二九付検調によれば、八月二五日に財産区の協議会が開かれ、区有林の地上権を風間から南に譲渡したい旨の申し出があつた説明があり、九月六日の財産区の会合で南から区有林の所有権を買い受けたいとの申請が出ていると説明があつた旨供述しており、河本は前記四八・一〇・三一付検調で、七月下旬ころから風間が中津川市長に区有林の地上権を南に売りたいとの申込みを出し、八月三一日に南が風間から右地上権を買い受ける話がまとまつて手付金の支払いをし、九月二日南の名前で中津川市長宛に区有林の所有権を売つてほしい旨の申請書を提出した旨供述している。これらによれば、七月下旬から八月初めにかけて、南の本件区有林の所有権の買収計画が具体化し、中津川市にその申請が出されていたことが認められる。この時期などについて、当審証人西尾岩夫の記載した昭和四七年度財産区記録と題するノート(証拠略)には、八月二五日に財産区全員協議会が開催され、風間からの区有林の地上権処分の申し出に関し、区有林の所有権を売却する問題を討議している趣旨の記載があり、この記載は、右岩井の検調中の供述を裏付けている。そうであるとすると、本件区有林の払下げについて、九月当時には区議会にまだ議案が提出されていなかつたとしても、八月下旬には既に区議会の協議会において払下げ問題が討議の対象となつているのであつて、区有林の払下げや地上権譲渡の承認について、いずれ遠からず議案が区議会に提出されることは予測されていたというべきであるから、本件金員がこれらの審議議決について好意ある取計らいを受けたい趣旨であることを認識できる時期であつたとは明らかであるといわねばならない。

その他原判示第三、第四の事実について各控訴趣意が原判決を論難するところは、証拠に徴しいずれも採用できない。原判決には各所論の主張するような事実誤認は存しない。各論旨は理由がない。

第四原判示第五、第六の事実関係

被告人渡邉良平の弁護人の控訴趣意二及び被告人河本利夫の弁護人の控訴趣意第三(いずれも事実誤認の論旨)について

各所論は、要するに、渡邉の原判示第五の収賄及び河本の同第六の贈賄について、原判示の七〇〇万円の小切手授受は、南、河本と渡邉の間の工事前渡金、あるいは事業家同士の一時的な貸借であつて、渡邉の市議会議員としての職務とは全く関係がなかつたのに、原判決が河本及び南は共謀して中津川市議員及び同市議会の建設委員会の委員であつた渡邉に対し、市議会及び同委員会において区有林の処分などに関する審議議決に際し好意ある取計らいをしてもらいたいこと等の趣旨で七〇〇万円を貸与し、渡邉はその情を知りながらその貸与を受けたものであると認定したのは、事実を誤認したものであるというのである。

各所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によると、原判示第五、第六の事実は各所論指摘の点をも含めて優にこれを認定することができる。右各所論について原判決が特に「主な争点についての認定理由」と題して、その六において説示するところは、すべて正当として肯認することができるので、これに付加して次のとおり説示する。

各所論は、本件七〇〇万円は渡邉の市議会議員としての職務とは全く関係なく授受されたものであるというが、南の四八・一一・一付検調によれば、渡邉は市議会議員であり市議会や市議会委員会で、市長が本件区有林売却関係の議案を区議会に提案することに関連して質問権があり、区有林売却代金の繰り入れ予算を審議する権限をもつているので、へそを曲げられて反対の立場に立たれると本件区有林やその地上権を買収できなくなる恐れがあるので、渡邉の申入れをきいて、積極的に本件区有林を南に売却することに賛成する発言や質問をしてもらいたいために七〇〇万円をやつた旨の供述をし、河本も四八・一二・六付検調で同旨の供述をしており、渡邉も四八・一二・一一付検調で、その趣旨を承知して受領した旨の供述をしていることからみても、右七〇〇万円は、中津川市議会議員であり同市議会の建設委員会の委員である渡邉の職務に関し原判示の趣旨で、少なくとも貸借として授受されたものと認められる。右認定に反し各所論に沿う渡邉、河本、南の原審及び当審における各供述は、以下述べるところをも併せ考えると、措信できない。

渡邉の弁護人らは、渡邉は地元のため南に本件区有林を開発してもらいたいと考えていたので、南も渡邉に借地権買取り交渉を頼んだものであつて、その間には賄賂を贈り、贈られるという対立的な関係は基本的に存しないというが、渡邉の四八・一一・二付検調によれば、渡邉は地域住民の利益のためにも本件区有林を開発してもらいたいと望んでいたが、その開発を南に期待した理由の一つは、南が区有林の開発をすることになれば、それに付随する電気工事を渡邉が経営しているケイホク電工株式会社でさせてもらえるなどの私的なメリツトがあることになること、南の四八・一〇・九付検調によれば、本件区有林の開発をする際は電気工事はケイホク電工で施行する話合いが出来ていたことが認められるから、南と渡邉は共に本件区有林の開発により利益を受ける関係にあつたが、他面において右開発を実現するためには市議会議員である渡邉の地位、権限を区議会等の場で利用する必要があり、南はその点で渡邉に協力を求めていたのであるから、渡邉と南との間には基本的に贈収賄を生ずる素地となる対立的な関係が存在したというべきである。すなわち、右七〇〇万円借用の利益が渡邉の職務行為と対価関係に立つことはなんら不自然ではないのである。

渡邉の弁護人らは、本件七〇〇万円は恵北建設工業株式会社代表取締役である南からの借入金であり、渡邉が将来同建設の工事をして返す予定の金で工事前受金的性質をもつていたものであり、すなわち、南は自己が実権を握る木曽川サンド株式会社による落合プラント工事を現実に計画しており、それの電気工事を請け負わせる意図で右金員を融資したものであり、これを帳簿上雑収入として処理したのは、江坂忠男や渡邉久子がしたものであつて渡邉は知らなかつたというが、本件当時恵北建設工業株式会社の専務取締役であつた原審証人南作二は、同会社が中津川市千旦林で砂の採取事業をする計画で設立した木曽川サンド株式会社は登記簿上だけの存在で実体は出来ておらず、同会社が電気関係の工事を発注したこともなかつた旨の供述をし、原審証人江坂忠男は本件七〇〇万円は渡邉の了解のもとに雑収入の科目に入れる処理をしたものである旨の供述をしており、これらに加えて、南の四八・一二・一一付検調中の、渡邉が資金繰りができなくて倒産することがあつても、南には関係のないことであつたが、区有林を買収するためには、市議会における審議などを考えると、渡邉の要求に応ずるより他はなかつたので七〇〇万円を渡したもので、これを電気工事代前渡金としたのは名目だけであるから、当時請負契約書や見積書、領収書をももらわずに渡しており、四八年六月になつて、区有林買収をめぐり黒い霧があるとの新聞報道が出た後で、渡邉から河本を通じて領収書を受け取り、その後警察で工事受注計画表を見たが、急いで作つたものでずいぶん矛盾するようなところがあつた旨の供述及び河本の四八・一二・六付検調中の同旨の供述並びに事業家間の通常の取引として七〇〇万円を期限及び利息の定めなしに貸与することは考え難いことを総合して考察すると、本件七〇〇万円は工事前渡金あるいは単なる事業家同士の一時的な貸借として授受されたものとは認められない。右認定に反し所論に沿う渡邉の原審及び当審における供述、原審証人渡邉久子、同板頭嘉照の供述は右各検調と対比して不自然であつて、措信できない。

なお、渡邉の職務権限に関する論旨については後記第七において一括して説示する。

右の点を除き、その他原判示第五、第六の事実について各控訴趣意が原判決を論難するところは、証拠に徴しいずれも採用できない。原判決には各所論の主張するような事実誤認は存しない。各論旨は理由がない。

第五原判示第七、第八の事実関係

被告人三尾竹司(以下三尾というのは被告人三尾を指す。)の弁護人尾関闘士雄、同鍵谷恒夫の控訴趣意第二のうち原判示第七に関する部分及び被告人河本の弁護人の控訴趣意第四のうち原判示第八に関する部分(いずれも事実誤認の論旨)について

各所論は、要するに、三尾の原判示第七の収賄及び河本の同第八の贈賄の事実について、河本と三尾との間で授受された右各事実の1、2、3の各金員(合計二五万円)は、三尾らが本件区有林に設定されている地上権の無効確認を求めている行政訴訟について、原告団と河本らとの間に訴の取下げの和解条件が成立し、その条件に従つて訴訟に要した実費の支払いとして河本から原告団の世話をしていた三尾に支払われたものであり、同判示の4の中古自動車は、三尾が業者から買い受けるにあたり南が車の選定や買受け手続の世話をしたものであつて、河本は連絡役にすぎなかつたのに、原判決が、河本は中津川市議会議員及び同市議会総務委員会の委員長であつた三尾に対し、右1、2、3については市議会及び同委員会において本件区有林の処分に関する質問並びにその売却見込代金を繰り入れた予算案の審議議決に際し好意ある取計らいをしてもらいたいこと等の趣旨で原判示の各金員を供与し、右4については南と共謀のうえ、市議会及び同委員会において右区有林の払下げに関する質問並びにその売却見込代金を繰り入れた予算案の審議議決に際し好意ある取計らいをしたことに対する謝礼等の趣旨で同各判示の中古自動車一台を供与し、三尾はそれらの情を知りながらこれらの金品の供与を受けたものであると認定したのは、事実を誤認したものであるというのである。

各所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によると、原判示第七、第八の事実は、各所論指摘の点を含めて優にこれを認定することができる。右各所論について原判決が特に「主な争点についての認定理由」と題して、その七において説示するところは、すべてこれを正当として肯認することができるので、これに付加して次のとおり説示する。

各所論は、原判示第七、第八の1、2、3の各金員は行政訴訟の経費の支払いであつて三尾の市議会議員の職務とは関係がないというが、河本は、四八・一〇・三〇付、四八・一一・一付各検調では、三尾が市会議員として昭和四二年ころ本件区有林の地上権の設定をめぐつて市議会で当時の市長らに質問追及したことを知つていたので、昭和四七年八月三一日に風間と南の間に区有林の地上権の売買契約が成立し、所有権をスムーズに買収するために三尾から市議会や総務委員会で反対されないようにするとともに積極的に賛成の立場をとつてもらいたいことから市会議員である三尾に現金をやろうかと思い、九月上旬ころ三尾方に行き、三尾に対し「区有林を買収できるようよろしくお願いします」と言い五万円を差し出し下駄箱の上に置いて帰り一〇月初旬ころ三尾方に行き、三尾から「市長に区有林の払下げ議案を区議会に早く議案提出するように骨折つてみる」と言われ、「よろしく頼みます」と言つて封筒入りの一〇万円をテーブルの上に置いて帰り、昭和四八年一月七日ころ三尾方に行き、三尾に区有林の払下げ議案を市長に提案するように言つてもらいたい、次の市議会に市長に聞いてもらいたいと頼み一〇万円を二つ折りにして手渡した旨、また、南が逮捕された後で三尾があわてて行政訴訟経費一覧表を持つて来て、「行政事件の原告側が私費を使つているから、費用を立替えてもらう約束があつたようにしてくれ」と言うので口裏を合わせることにしたが、実際は行政訴訟の経費の立替金を払う約束をしたことはなかつた旨供述しており、三尾は、四八・一〇・二七付、四八・一一・一付各検調において、八月中旬ころ渡邉から河本のいる前で「区有林の所有権譲渡の関係で南から河本が頼まれ窓口的役割をするので力になつてほしい」と頼まれ、九月初旬ころ河本が自宅に来て「区有林の行政訴訟の和解の方もやつて下さい、所有権を買収することで市の方にもよろしくお願いします」と言い五万円を出したので、行政訴訟の取下げや区有林の買収がスムーズに行くように市議会、総務委員会で賛成の立場をとつてもらいたいなどの頼みの礼とわかつたが結局受け取り、その金で食器棚と食卓机を買つた、一〇月二〇日前後ころ(四八・一一・一付検調では一〇月初旬か中旬という)河本が来宅し、区有林の所有権買収について市が早く区議会に提案するよう市の方に話してもらいたいと言い、「行訴のことやなんかでお世話になりますから」と言つて一〇万円を座卓の上において帰つた、その金は九州の行政視察の費用や妻に渡したり、飲食代などとして費消し、一二月末か昭和四八年一月初めころ河本が来宅し区有林買収の話をして「行訴の方も世話になり有り難うございます、市の方も一つ早いとこお願いします」と言つて一〇万円を出したのでもらい、その金は、かねて弟三尾邦夫からの借金一〇万円の返済に充当した旨供述しているところである。これに対し、原審公判では河本及び三尾はこれらの金員の授受の事実は認めるが、その趣旨については区有林に関して提訴している行政訴訟の取下げの和解条件として原告団に対して支払う訴訟経費の支払いとして授受した旨供述し、前記検調中の供述を全面的に否定している。

そこでこれら両者の供述の信用性を比較検討するに、右各金員の授受に当つてはその都度領収書が出されておらず、また三尾はその入金を原告団員に対して報告していなかつたもので、このことは三尾の公判廷における供述によつても明らかであり、原告団長である原審証人青山道治もその入金の報告を受けていない旨の供述をしているのであるが、もし本件の二五万円が訴訟経費の支払いであつたとすれば、原告団の収入であつて、個人の金ではないのであるから、その授受を明らかにするために領収書の授受がなされ、かつ、その受領を原告団に報告するのが通常の形態であると思われるのに、これらがなされていないのは、三尾個人の金として受領したものと推定されてやむをえないところであり、これに加えて三尾がこれらの金を私的に費消したと捜査官に供述しているところは、三尾が四八・一〇・三一付員調中に自ら記載した使途明細書を提出していることからみても任意の供述であると推認され、その使途については三尾の妻三尾孝子の四八・一一・二付員調、三尾邦夫の四八・一〇・二四付員調によつて裏付けられており、同人らの供述は更に家具店などの店員町野昇及び伊藤かず子の各員調並びに三尾と九州旅行に同行した浜島務の員調により裏付けられていることからみれば、右三尾孝子の員調並びに被告人三尾の前記検調中の本件金員を私的用途に費消した旨の供述は措信できるものと認められる。これらの状況などを総合考察すると、本件の二五万円は、三尾個人に帰属するものとして授受されたものと認められる。そうであるとすれば、これに反する河本、三尾の公判廷における供述はその供述内容に矛盾が多く不自然であることと相まつて措信できない反面、河本、三尾の前記検調中の供述は、右のほか関係の証拠によつて認められる状況を加えて考察すると、右金員の趣旨を含めてこれを措信できると認められるので、本件各金員は原判示の趣旨で授受されたものと認められるのが相当である。

次に、河本の弁護人は原判示第八の4の中古自動車一台の供与については、河本は連絡役にすぎず、南と共謀の関係になかつたというが、南の四八・一〇・一六付検調によれば、南は河本から「三尾の力が大きかつたので礼に適当な自動車をみつけてやつてくれんか」と言われて、それを了承し、恵那トヨタ自動車(岐阜トヨタ自動車株式会社恵那営業所)で車を買う手筈をしたが、整備、車検に一五日間を要するというので、その旨を河本に伝えると、河本から「その間代車を三尾に貸してやつてくれ」と言われ、それを承諾し、河本の使い走りをしていた男が取りに来たので南の車を一台渡し、その後河本を通じて三尾に印鑑証明を督促し、河本から「三尾は車検料や保険料を払う金がないので払ってやつてくれ」と言われて、それらも支払うこととし、その旨河本に連絡し、南が車代、車検料、税金等をすべて支払つて、恵那トヨタ自動車の店員に車を三尾に届けさせた旨供述しており、河本の四八・一〇・一八付検調の内容も右南の供述に符合し、右各供述は措信することができる。右の経緯からみると、河本は単なる連絡者ではなく、三尾と南の間に深くかかわり、南と共同の意思のもとに積極的にその供与に参与しているというべきであるから、本件自動車の供与について南と共同正犯の関係にあつたと認定した原判決の事実認定は相当であると認められる。

また、三尾の弁護人らは、中古自動車一台の授受が賄賂でなく、三尾がその代金を支払う意思であつたことは、南が三尾に同車の保険料と税金を支払わせようとしたことからも明らかであるというが、南の右検調によれば、南は、河本から三尾が車が欲しいというのでやつてくれと言われ、三尾は市議会、総務委員会でも区有林の売却に関連して反対の立場からの質問をせず、好意的な意見を出してくれたことから、中古車一台を礼としてやつても安いもんだと思い、恵那トヨタ自動車で二八万円で中古車を買い、三尾が買つたことにするために車検料(保険料を含むものと解される。)と税金を三尾から出させようと思つたが、三尾がその支払いもしないので、結局これらの車検料等も南の方で出して支払いしていることが認められる。もし南が単なる車の売買の仲介をしたというのであれば、このように車検料や税金までも負担すことは考え難いところであり、この点からみても、本件中古車は賄賂として供与されたものであると認められる。所論は、三尾が手許不如意のために速やかに代金等の支払いができなかつたので南が立替払いしたにすぎないというが、三尾がそのことについて南らに弁明をせず、支払いをそのまま放置していたことからみても、右車の供与を受ける意思があつたと認められる。

なお、三尾の職務権限に関する論旨については後記第七において一括して説示する。

右の点を除き、その他原判示第七、第八の事実について各控訴趣意が原判決を論難するところは、証拠に徴しいずれも採用できない。原判決には各所論の主張するような事実誤認は存しない。各論旨は理由がない。

第六原判示第九、第一〇の事実関係

被告人田口進(以下田口というのは被告人田口を指す。)の弁護人尾関闘士雄、同鍵谷恒夫の控訴趣意第二のうち原判示第九に関する部分及び被告人河本の弁護人の控訴趣意第四のうち原判示第一〇に関する部分(いずれも事実誤認の論旨)について

各所論は、要するに、田口の原判示第九の各収賄及び河本の同判示第一〇の各贈賄の事実について、各金員の授受は、田口が河本から「息吹―無産運動の思い出」と題する小冊子(以下小冊子という。)の発行費用として借用したものであるのに、原判決が右各事実1については河本が、同2、3、4については河本が南と共謀して、中津川市議会議員であり、同市議会の民生教育委員であつた田口に対し、市議会及び同委員会で本件区有林の処分に関する質問並びにその売却見込代金を繰り入れた予算案の審議議決に際し好意ある取計らいをしてもらいたいとの趣旨で原判示の各金員を供与し、田口はその情を知りながらこれらの供与を受けたと認定したのは、事実を誤認したものであるというのである。

各所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によると、原判示第九、第一〇の事実は、各所論の点をも含めて優にこれを認定することができる。

すなわち、右各所論について原判決が特に「主な争点についての認定理由」と題して、その八において説示するところは、すべてこれを正当として肯認することができるので、これに付加して次のとおり説示する。

田口の弁護人らは、本件金員は田口が小冊子の発行費用として河本の経営する沿線時事社から借用したものであり、仮に河本に贈賄の意思があつたとしても送り手側の意思をもつて受け手側の意思なりと断定することは許されないといい、河本の弁護人は、田口は行政訴訟の原告の一員として和解の成立を希望していた以上、もとより本件区有林の所有権を南が取得することに協力する意思であつたから、河本が田口に贈賄する必要はないのであり、本件金員は河本の全く善意の貸金であつて、田口からの借用書のないのは河本は小冊子の編集委員の一人であつたことから奇異ではないというが、河本は、四八・一一・一三付、四八・一一・一四付、四八・一一・一五付、四八・一一・二一付各検調では、田口が三尾と同様昭和四二年ころの市議会本会議で前市長に対し本件区有林の地上権設定に関連して反対の立場から質問し、同市長を窮地に追いこんだことを河本は知つており、本件区有林を南が取得するについて田口が反対の立場で本会議や委員会で市長にいやがらせの質問をしたり、区有林を売却して入る予定の金の繰入れ予算案を修正否決できる立場にあり、逆に南を有利にする質問もできる立場にあつたので、田口らの気げんを損じてはいけないと思つていたところ、六月下旬ころ渡邉から「田口や三尾に会つておいた方が今後何かと都合がよい、この二人に市議会でいちやもんをつけられ質問でもされると話も流れてしまう」と言われ渡邉の紹介で二人と会い、更に七月上旬ころ料理店「末広」に二人を招待して、その席で二人に対し、市議会で市長に対して区有林を売却する議案を区議会の方へ提案するように質問などして取り計らつてもらえんかと頼み、その後九月三〇日ころ、かねて渡邉が嘘の文書を書いて風間に渡していたことが区議会でばれ、田口や三尾にこのことを取り上げられて質問されては元も子もなくなると思い、二人に現金をやつて、そのような質問をしないようにしてもらうのは勿論、所有権売却などの議案の提案をすべきであるなどの質問をしてもらいたいと思い二人に現金をやろうと考えていたところ、一〇月ころ田口から「小冊子の編集委員のメンバーに加わつてもらうとよいが」と言われたが断わつたら「企画しても金がないので」と言われたので、協力させてもらうと言つておいた、一一月一日ころと同月三日ころ田口から「さし絵を書いてくれる人に金をやりたいが金がないので困つている」と言われたので、暗に金を要求しているものと思い、一一月一〇日ころ現金一〇万円を田口に渡し、その際「区有林の話は進んでいるので、市会の方でもよろしく頼みます」と依頼し、一二月中旬ころ、田口から「出版物を印刷屋に回していて費用を払わなならんので、今度は少し余計いるので困つた」と言われたので、一二月二〇日ころに現金二〇万円を田口に渡し、その際に「今、市議会が開かれているが、一般予算に区有林の代金を見込んで繰り入れられて審議されているそうだが、とにかく頼みます」などと依頼したところ、田口から「努力は十分させてもらうから心配してもらわなくてもよい」などと言われた、昭和四八年一月下旬ころ田口から「月末に本が出来るので金もいるんだが」と暗に月末に金を持つてきてほしいと言われ、「じや持つて行くわ」と言い、同年一月三〇日ころに田口方に一〇万円を持参し、田口が留守であつたので奥さんに「ご主人には厄介になつている者です、よろしく頼みます」と言つて渡し、同年二月下旬ころ田口から住民に南の側に有利なちらしを配つたといい「金がいつた」と言うので、内心金の要求だと思つて同月二八日ころに一〇万円を渡し、その際区有林の買収に手違いのないように依頼すると、「心配するようなことがないようにするから大丈夫だ」と言われた旨供述しており、また、私は共産党に同調していないので共産党の本を出版するについて費用を出したり、寄付するようなことは、田口が市議であり昨日申したような立場になければ絶対ありえない、田口も私が共産党の同調者でもないことを良く知つていながら、金を暗に要求したので、私が金を出す真意は十分に知つていたと思う、南が区有林をスムーズに買収できるよう市議会で私や南の反対の立場になるような質問をしないようにしてもらうのは勿論、むしろ積極的に区有林を売却する議案を早く提案するようにしむけてもらいたいということから現金をやつたのであり、それ以外の意味は全くない旨供述している。これに対し田口は、捜査段階から原審及び当審公判を通じて、右金員の授受は認めているものの、その趣旨は小冊子発行の資金として借用したものであつて、その授受は田口の市議会議員としての職務とは全く関係がない旨供述し、河本も原審及び当審においてこれに沿う供述をしている。

これら両者の供述を比較検討してみると、本件金員を小冊子の発行費用にあてることについては両者の認識は一致しているのであり、事実それが主として右費用にあてられたことは認められるが、河本の検調はこれを贈与とし、資本家側のために動いている河本が田口に金を渡す理由は南が区有林を取得することなどに関して市議会議員として反対側につかず、かえつて好意ある取計らいを受けたいとする他にはなかつたと述べているのである。右河本の検調中の供述は、当時の河本の立場や、本件区有林を取巻く状勢に照らして十分納得できるものであり、このことと前記河本の各検調中の供述が詳細かつ具体的で不自然な点がないことなどに徴すると、河本の前記各検調は十分措信できるというべきである。これらに反し所論に沿う田口の検調並びに、田口、河本の原審及び当審における供述は、それ自体不自然であるとともに、前記河本の各検調と比較して措信できない。

田口の弁護人らは、仮に河本に贈賄の意思があつたとしても、田口はそれを知らなかつたというが、河本の前記各検調によれば、河本は本件の金員を田口に渡すたびに、市議会議員として本件区有林に関し好意的な取計らいをしてもらいたい旨依頼し、田口はそれに対し努力する趣旨の返事をしながら受け取つていることが認められ、また、原判示各事実は、いずれも河本の方からわざわざ田口方に赴き各金員を渡しており、本件各金員の授受の態様は資金の足りない人が金員を借用する際に一般に行われる形態とは異なるものがあり、本件の金員の授受の際には領収書も、借用書も作成されておらず、また利息についてもなんらの話合いもなかつたと認められるのであるから、これらの状況を併せ考えると、本件の各金員について田口は河本の贈賄の意思及び趣旨を十分承知しながらこれを受領したものと認めるのが相当である。

田口の弁護人らは、また、原判決が、田口は絵四点を一旦被告人河本に贈与の意思で届け、後に勝手に二〇万円と評価してその代金と返済金とを相殺しようと考えたとする点については、田口のかかる意思を認定するに足りる証拠は存在せず、その余の三〇万円の返済時期を昭和四八年七月二〇日とした領収書は実際の返済日より日付をさかのぼらせているとしたのは恣意的な採証方法であつて許されないというが、河本の四八・一一・二二付検調によれば、昭和四八年二月二八日ころ田口が河本に絵を見せて「河本さんとこへ持つて行こうと思つている」と言い、同年三月中旬ころに田口が来て、額絵四枚を出し、「これを置いておくわ」と言つて置いて行つたが、河本は金を出してまで買いたい絵ではなく額縁共に一万円でも買う気は起こらず、藤原梵の描いた絵を買いたいと言つたこともなく、また、田口から買つてくれと言われたこともなかつたのに、同年八月二二日に南耕一が逮捕され、区有林の買収にからんで贈収賄事件に発展すると心配されている同年九月五日ころの早朝に、突然田口があわてた様子で河本方に来て、現金三〇万円を出して「もらつた金は本の出版費用に一時借用したことにして、借りた金を返したことにしてもらいたい」と言い、「返してもらわなくてもよい」と言うのに「とにかく受け取つておいてもらいたい」と言い「領収書の日をさかのぼらせてくれ」と言うので、昭和四八年七月二〇日付の領収書を書いて渡したところ「残りの二〇万円は絵とビジネスにしておいてくれ」と言われるのでこれを承知したというのであり、右の返済日は南が逮捕された後であることは河本の原審における供述によつても明らかである。原審証人藤原信秀の供述によれば、田口が河本に渡した絵四枚は、田口が右藤原から一枚を六五〇〇円で買いそれぞれ三五〇〇円の額をつけたもので、田口は一枚について一万円の出費をしているものであることが認められ、右絵四枚を二〇万円の借金と相殺することは田口の支払つた絵の値段と比べ不均衡であると思われ、これらによれば原判決が説示する絵四点に関する田口の意思及び領収書の日付をさかのぼらせた事実を認めることができるので、この点についての原判決の事実認定は肯認できるもので誤認はなく、その採証方法が不当であるとも認められない。

なお、田口の職務権限に関する論旨については後記第七において一括して説示する。

右の点を除き、その他原判示第九、第一〇の事実について各控訴趣意が原判決を論難するところは、証拠に徴しいずれも採用できない。原判決には各所論の主張するような事実誤認は存しない。各論旨は理由がない。

第七中津川市議会議員の職務権限の関係

被告人渡邉の弁護人福岡宗也の控訴趣意及び被告人三尾、被告人田口の弁護人尾関闘士雄、同鍵谷恒夫の控訴趣意のうち中津川市議会議員の職務権限に関する主張部分(事実誤認又は法令の適用の誤りの論旨)について

福岡弁護人の所論は、要するに、苗木財産区は中津川市と全く別個独立の特別地方公共団体(公法人)であり、同財産区には財産区議会が存するのであるから、その財産の処分などに関する審議議決は財産区議会の専権に属し、中津川市議会にはその権限のないことが明白である。したがつて、被告人渡邉ら中津川市議会議員は、中津川市長が苗木財産区の管理者(執行機関)として担当する同財産区所有の財産の管理、処分に関する事務について、法律上なんらの権限を有するものでない(仮に市議会で市長に質問したとしても、それは事実上のものであり、権限の行使ではない)のに、原判決が、その第五の事実において被告人渡邉に原判示の右事務について質問する職務権限があつたとして収賄罪の成立を認めたのは、事実を誤認したものであるというのであり、また、尾関、鍵谷両弁護人の所論は、要するに、被告人三尾、同田口は、被告人渡邉と同様、市議会議員として原判示の各職務権限を有するものでないのに、原判決が、被告人三尾について原判示第七の各収賄罪の、被告人田口について原判示第九の各収賄罪の成立を認めたのは、いずれも事実を誤認し、もしくは法令の適用を誤つたものであるというのである。なお山本弁護人は、当審における弁論において、被告人河本の原判示第六、第八及び第一〇の各贈賄の関係で、原判決が、相被告人渡邉、同三尾及び同田口について同被告人らが原判示の各職務権限を有すると認定したのは、その判断を誤つたものである旨主張するので、以下に右主張についても合わせて検討することとする。

各所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判決が被告人渡邉、同三尾及び同田口について原判示の各職務権限を認めたのは、いずれも正当として是認することができる。

各所論は、右被告人らは、市議会議員として、中津川市長が担当する苗木財産区の財産の管理、処分に関する事務について、法律上なんらの権限を有するものでない旨主張する。たしかに、苗木財産区は特別地方公共団体であつて(地方自治法一条の二第三項)、普通地方公共団体である中津川市とは別個の法人であり(同法二第一項)、一般に財産区の財産の管理、処分などは、地方自治法二九四条一項により「この法律中地方公共団体の財産の管理及び処分又は廃止に関する規定による」と定められているから、財産区がその一部をなすところの市町村など(以下、市の場合について述べる。)の議会が議決機関として(同法九六条)、また、市長が執行機関として(同法一四九条六号)それぞれその権限を行使するものと解されるが、本件苗木財産区のように財産区議会が設けられているときは、財産区議会がその財産の処分などについて議決する権限をもつことになり(同法二九五条)、この場合には、もはや市議会において財産区の財産の処分などについて議決することは法律上許されないものと解すべきであることは、各所論のとおりである。しかしながら、そうだからといつて、以下述べるような諸事情が認められる本件において、前記の被告人らが原判示の各職務権限を有していなかつたとはとうてい認められないのである。

すなわち、原審で取り調べた関係各証拠及び関係法令によれば、

1  一般に、市長は当該の市に設けられた財産区の管理者(執行機関)としてその財産の管理、処分などの事務を担任するが、その財産の処分に関する議決が市議会によつて行われる場合でも、財産区議会が設けられこれによつて行われる場合でも、市長の右職務には特に異なるところはなく、本件各犯行当時中津川市長が、苗木財産区の財産の処分について議案を財産区議会に提出し、その議決に従い県知事に対し右認可の申請手続をとり、契約及びその実施の事務を行うなどの職務権限を有していたことは明らかである。

2  中津川市の関係法規上、苗木財産区の財産の管理、処分などに関する事務は、同市総務部(財産課)が所管するものと解され(同市部課設置条例一条、二条、同市行政組織規程六条)、また、同市議会では右総務部の所管に属する事項は総務委員会が所管する旨(同市議会委員会条例二条)が定められており、現にこれに基づく取扱いや運用がなされていたと認められる。すなわち右の部課設置条例一条には、同市総務部は「地方自治法一五八条七項の規定に基づき、市長の権限に属する事務を分掌するため」に設置された部の一つであることが、また、右の行政組織規程六条には、財務課の分掌事務として「六 公有財産の取得及び処分に関すること。七 公有財産の維持管理に関すること。」がそれぞれ明記されているのであつて、市長はその権限に属する事務の一部として、また、同市総務部の職員は市長の補助機関としてその所管事務の一部として、苗木財産区の管理、処分などに関する事務(なお、原審証人荻野千秋に対する尋問調書によれば、同人がその地位にあつた苗木支所長は、同市役所支所長専決規程、支所長に財産区の事務を委任する規則などに基づき財産区の事務)をそれぞれ担当していたと認める。そして、中津川市長が苗木財産区の財産の管理、処分などに関する事務を行つている以上、それは地方自治法七五条の監査請求の対象となるものであり、右請求があつた場合、監査は同市の監査委員により行われ(同市監査委員条例二条)、また、財産区には選挙管理委員会が設けられておらず、同市の選挙管理委員会が財産区議会の議員の選挙に関する事務を管理していた(公職選挙法施行令一四一条二項)とうかがわれる。

3  財産区は、市と別個の法人格をもちながら、同時に地域的、人的に市の一部を構成しているものであるから、その財産の管理、処分などは、それが適正妥当に行われるかどうかが市の利害にかかわり、調整を要することも多く、地方自治法が「財産区はその住民の福祉を増進するとともに、財産区のある市町村の一体性をそこなわないように努めなければならない」旨規定しているのも(同法二九六条の五第一項)、この趣旨を表わすものである。そして、その売却代金を含め財産区の財産から生ずる収入の全部又は一部を繰入れ金として市の予算に計上することができるのであるから(同法二九六条の五第三項)、市議会における右予算案の審議の過程において、財源確保などの見地から財産区の管理、処分などに関する事項が審議の対象となりうることはいうまでもなく、したがつて中津川市議会議員が苗木財産区からの右繰入れ金の部分を含めて予算案を審議し議決する職務権限を有することは明らかである。

4  被告人渡邉、同三尾及び同田口の三名は、原判示の各犯行当時いずれも中津川市議会議員であり、同市議会において、渡邉は建設委員会に、三尾は総務委員会に、田口は民生教育委員会にそれぞれ属していたものであるところ、地方自治法の規定によれば、市議会は同法九六条以下に定める議決をはじめとする諸々の権限を有するのであるから、市議会議員が市議会の構成員としてその権限を具体的に行使しうることはいうまでもない。したがつて、市議会議員が議会において市長又はその補助職員に対し市の事務について質問することができることは当然であり、中津川市においても、同市議会会議規則において、議員は市の一般事務について議長の許可を得て質問することができる旨を規定して(同規則五九条一項)、その趣旨を明らかにしているところである。そして、三尾、田口は、昭和四二年ころ同市議会議員として同市議会において、本件区有林について、当時の中津川市長が風間の経営する木曽恵那観光開発株式会社との間で締結した地上権設定契約などに関し、右契約を違法不当として同市長らの責任を追及する一般質問をしたことがあり、同市長らも右質問に対し答弁に応じていたことは明らかであつて、本件各犯行前、財産区の財産の管理、処分などについて市議会議員として法律上質問権がないという運用がなされた形跡は全く認められない。

以上のように判断することができる。これらに更に前記各証拠を加えて考察すると、苗木財産区は中津川市と別個の法人格を有するものではあるが、両者は右に認定したとおり種々の面で密接な関係をもつものであるから、弁護人らの所論のように財産区の管理者(執行機関)としての市長の職務権限について、その別個独立性を強調するのは相当ではなく、現行法の解釈上、普通地方公共団体の長である市長の地位を離れて財産区の管理者としての権限が存在するものではないから、原判決が財産区事務に関する市長及び補助職員の職務は市の一般事務に準ずる性質をもつものと解したことは是認することができ、また原判決が、渡邉、三尾及び田口が中津川市議会議員として同市議会及びその属する委員会において、本件区有林の処分に関する事項について質問をし並びに本件区有林の売却見込代金を繰り入れた予算案を審議し議決するなどの職務権限を有した旨認定し、これを贈収賄罪の構成要件としての職務に該当すると判断したのは正当であり、原判決に所論のような事実誤認ないし法令適用の誤りは存しない。各論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用については、同法一八一条一項本文により証人田中豊に支給した分は被告人河本利夫に、証人西尾彦朗及び同宇野巌に各支給した分はその二分の一ずつを被告人三尾竹司、被告人田口進に、証人西尾岩夫に支給した分は被告人岩井勇にそれぞれ負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 小野慶二 河合長志 鈴木之夫)

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